「葉隠」ゆかりの“追い腹”の寺

佐賀県佐賀市本庄町鹿子上飯盛


妙玉寺の本堂

 

鍋島茂賢夫妻と殉死者の墓

妙玉寺の本堂

 

鍋島茂賢夫妻と殉死者の墓

 

妙宝寺は、日蓮宗の寺で、常照院と同じく代々石井家の菩提寺として続いています。起源は、龍造寺隆信の重臣石井新左衛門が、元亀元年(1570)、隆性院日就上人を開山として、開基した寺です。元々は、浄円寺の境内の一角にあったといわれ、後に一寺として独立したとされています。開基の石井新左衛門は、石井二男家の石見守忠次の嫡男とされています。しかし、『石井系譜』によると、忠次の嫡男源次郎忠修の戦死後、龍造寺隆信の命により、忠修の跡を継いだ石井嫡男家の新五左衛門常永(忠修の甥)の創建と記されています。

寺号は、忠次の二男安芸守信忠の夫人(石井左衛門尉忠俊と陽泰院夫人の姉法性院の間に生まれた女子)の法名「大宝院妙玉日伝」に因んでいます。夫人は、夫信忠との間に嫡男茂里、二男茂賢と女子を二人生みましたが、信忠の戦死後、鍋島直茂・陽泰院夫妻の斡旋により、肥前国彼杵郡俵石城主深堀中務少輔純賢へ二男茂賢を連れて再嫁しています。このため、境内には、信忠夫妻の嫡男で、鍋島直茂の婿養子となった鍋島主水佑茂里夫妻、茂里の弟で、深堀鍋島家の祖となった鍋島安芸守茂賢夫妻の墓があります。なお、茂里夫人は佐賀藩祖鍋島直茂の長女伊勢龍(月窓院)、茂賢夫人は龍造寺隆信の弟長信の長女真光院です。

茂賢夫妻の墓の前には、2名の寄騎、16名の家臣の墓が整然と並んでいますが、これは茂賢の死に際して、殉死に及んだ者たちのもので、茂賢の人望の厚さを今に伝えています。 

関連リンク

佐賀県日蓮宗による妙玉寺の紹介

 


Homeへ史蹟トップページへ

 

 Copyright © 2006 Saga Nabeshima Ishii Family's Official Website. All Rights Reserved.